2009年02月03日

中国四川省地震救援ニュース 85

不定期になりますが、Yさんレポートを続けます。

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CODEが、地震発生後の5月からこだわって活動いている北川県の光明村。1組から5組まで約730人が暮らす。と言っても通常は、若者、男性などの働き手は、他の省へと出稼ぎに出ていて村にいるのは女性、高齢者と小学生以下の児童が大半である。

その村で唯一の医者であるPさん(56歳)は、去年の1月に十数万元をかけて建てた4階建ての家屋は、この地震で全壊状態になり、今は1,2階のみが辛うじて残っている。またPさんの田んぼは地震によって水が抜けた。Pさんは、地震後、怪我や体調不良の村人のために必死で治療にあたっていた為に思うように田んぼに手を掛けることができずに今年のコメの収穫はほとんどなかった。今は、6月から3か月間政府によって支給された米を食いつぶしている。また、医者としての責務を全うするあまり鬱にもなりかけた。

そんなPさんは、ボランティアとガレキの片づけをやる中で少しずつ元気を取り戻していった。今では僕らボランティアとは、村で一番の仲良しである。つい先日、息子さんからこんな地震直後の会話を聞いた。
息子 「大丈夫か?」
Pさん「俺は大丈夫だけど家が。。。」
息子 「命が助かっただけよかったじゃないか!」
Pさん「俺の命に代えても家を守りたかった。。。」 
息子さんの横で当時を振り返りながらPさんは目に涙を浮かべていた。
村内で住宅再建の進む中、未だ住宅のローンが残っているPさんは、新たに借金をして住宅を再建しなくてはならない。「自分の命に代えても守りたかった」と言うほどにPさんにとって家は掛けがえのないものだったに違いない。
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2008年12月30日

中国四川省地震救援ニュース 84

四川に戻ったYさんから震災7ヶ月目の現地レポートが届きましたので、掲載します。なお、Yさんは来年1月に行われるいくつかのイベントに参加するため1月8日ごろ帰国します。
・2009年関西学院大学災害復興制度研究所フォーラム
 (http://www.fukkou.net/news/20090111-82.html
・現代GP「震災教育システムの開発と普及」シンポジウム
 −阪神大震災をふまえた防災教育の未来−
 (http://www.rcuss.kobe-u.ac.jp/sympo/gp0901103.pdf

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5月12日の四川大地震からちょうど7カ月が経った。現在、被災地では急ピッチに恒久住宅再建が進んでいる。
 この四川大地震では、伝統木造住宅が倒壊を免れ、しっかりと残っていることが多くの場所で確認されている。被災者や政府関係者からも「木造は強かった」との声を何度も耳にした。最近の情報では、綿陽、彭州、青川など、いくつかの場所で木造の再建も行われているとう。
 CODEの活動している北川県の村でも従来の伝統構法を使った木造の再建が行われている。村内でレンガ住宅の再建が多くなされる中、木造住宅の再建を選択したお母さんXさん(37)。築40年以上の伝統木造住宅であるXさんの家は、ほとんど無傷のまま残っているのだが、政府の方針(退耕還林)で少し離れた村内に新たに再建することになった。
 Xさんは、木造選択の理由をこう答えた。一つは、耐震のため。すぐ隣のレンガの家が倒壊したのにもかかわらず、自らの家が倒壊しなかった事を誰よりも実感しているのかもしれない。そして、もう一つの理由は、子供のため。子供が成長した後、木造は修理、改修がしやすいという。伝統木造住宅の特徴をよく知っているのである。
 ご主人のLさんも木造の選択に賛成はしていたが、木材調達などの課題を理由に決断しかねていた。だが、最終的に奥さんのXさんの気持ちに押され、同意した。やはり、女性の力なくして復興はありえないのだろう。
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2008年12月01日

中国四川省地震救援ニュース 83

11月5日の読売国際協力賞授賞式のために帰国していたYさんが、震災半年後の現地の様子を綴ってくれました。急速に進むように見える住宅再建も、一進一退。復興への道のりは始まったばかりです。

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四川の被災地から

 あの未曾有の災害から半年が過ぎた。被災地の各地には無数の仮設住宅群が広がる。と同時に、恒久住宅の再建も急ピッチに進む。CODEの支援する北川県香泉郷光明村でも住宅再建に被災者は忙しい。政府の方針で年末、もしくは春節(旧正月)まで入居しなければ補助が出ないという制約で多くの被災者はあせっている。また、早く住宅を再建して、出稼ぎに行きたいという思いもある。だが、最近の情報では、1年以内に再建すればいいという話を耳にした。青川県では2〜3年以内だという。政府の方針が二転三転することで被災者は、困惑する。また、急ぐあまりに被災地の多くの場所で、道路沿いに延々とレンガを積んだ山が並び、耐震性の不十分なレンガ住宅が建設されている。

 一方、学校、病院などの公共施設の再建も各地で進み、CODEの活動している香泉郷の中心小学校の建設も始まった。偶然にも、その小学校をデザイン、建設の支援をするのは、日本の東京大学の中国人留学生、胡先生(東京大学藤井研究室)たちであった。つい先日、デザインが完成し、いよいよ着工されるそうである。
広大な被災地の中の小さな場所で偶然にもつながった日本と中国の「絆」を活かした支援を考えていきたい。
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2008年09月22日

中国四川省地震救援ニュース 82

しばらくニュースが滞っていましたが、9月8日にYさんと一緒に成都に戻ったTさんが近況を寄せてくれましたので、紹介します。彼は、ニュース53で紹介した地震直後に現地に飛んだ学生ですが、6月中旬に日本に戻ってきて以来、CODE事務局に出入りし、この度Yさんのサポート役として四川に同行しています。

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3ヶ月ぶりに訪れた村。

田んぼの広がる緑の風景に仮設住宅の青と白が浮かんできました。建設中だった仮設住宅ではすでに入居が始まっていて、村のあちこちに、新しく建てるための赤いレンガが山積みされていました。

村の様子は変わっていましたが、変わらずあったのは村の人たちの温かい笑顔でした。
「あんた前に来たことあるでしょ?」
ほとんど話したことがなかったおばちゃんからそう言われました。子供たちは姓名までばっちり覚えてくれていました。

しかし、何人かの子供は村の外の学校に通うことになり、いませんでした。 小学校は歩いて40〜50分ぐらいのところにありますが、中学校からは近くにないからです。その小学校も地震で壊れ、今再建が進められており、授業は仮設で行われています。

また、村の働き盛りの男性は、今は家を建てるために帰ってきている人も多いようですが、普段はあまり見かけません。これは、四川省は出稼ぎ大省と言われるぐらい出稼ぎが多く、この村も例にもれず、多くの若い男性は都市部に働きに出ているからです。

だから、この村には小学生以下の子供と中高年〜高齢者が多くいます。仲良くなったおばちゃんが13年間一人暮らしなのもそのためです。そうした背景がある上に、地震で家を失ってしまったので、ますます出稼ぎの必要性に迫られています。

瓦礫の片付けも終わり始めた今、とりわけ彼らの頭を悩ませているのは「家の再建」だと思われます。

聞くところによると、比較的安い家を建てるのに7〜8万元(約120万円)かかるそうです。政府からは復興計画が出されていて、それに従うと約2万元の補助がもらえます。そして、出稼ぎで稼げるお金は一日に約50元だそうです。家を建てるお金を貯めるためには何年働かないといけないでしょうか?
また、元の家のローンを払い終えていなければ、二重ローンとなってしまいます。

そして、この復興計画ですが、政府は再建を急いでおり、ある人の話では12月初旬までに新しい家を建て終えないと、約2万元の補助が出ないらしいのです。

村の人たちは急いでお金を工面し、家を建て始めているところもあります。しかし、その家が前と同じ構造で造られてしまうと、また同じ悲劇を繰り返すことになるのです。

今後、復興計画と折り合いをつけながら、どう支援できるかを探っていかなければなりません。

いろいろ話をしてくれたおじちゃんが、何度も「関心を持ってくれてありがとう」と言っていたのが心に残っています。
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2008年08月31日

中国四川省地震救援ニュース 81

四川でまたM6.1の地震が起きたとニュースを見たYさんは、さっそく四川に電話しました。成都は多少揺れたそうですが、いつも行っている村はほとんど何も感じなかったそうです。震源は雲南との境の攀枝花で21名が亡くなったそうです。昆明はあまり被害はなさそうです。

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四川省でM6.1地震 21人死亡

【成都(中国四川省)】中国・新華社系のネットニュース「新華網」などによると、中国南部の四川省攀枝花市と同省涼山イ族自治州の境界付近で、30日午後4時半(日本時間同5時半)ごろ、マグニチュード(M)6.1の地震があり、同日夜までに21人が死亡、100人以上がけがをした。
 震源は、雲南省の省都・昆明から北西に約150キロ離れた山間部。震源の深さは約10キロ。雲南省では、20日と21日にもM5.0を超える地震が相次いでいた。
( 2008年8月30日23時9分 アサヒコム)
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2008年08月29日

中国四川省地震救援ニュース−番外−

8月25日にチベットで地震が起こったようです。被害は大きくありませんが、翻訳ボランティアさんが記事を見つけましたので、お知らせします。

≪ドンパ県城被害なし 死傷者報告いまだなし≫
 中国国家地震台の測定によると、8月25日21時22分、チベットのシガツェ地区ドンパ県(北緯31.0度、東経83.6度)でマグニチュード6.8級の地震が発生した。震源の深さは10キロ。震源地は海抜5500メートルで人家は少ない。
 チベット自治区地震局の責任者によると、ドンパ県とアリ地区の改則(ガイツェ?)県、措勤(ツォジン?)県の3県で揺れを感じた。しかしこの3県の県城では被害は出ていない。3県の政府は各郷鎮からの被害報告を求めているところだ。
 ドンパ県の政府職員によると、現在、県リーダーによる緊急会議が行われている。全県13の郷鎮のうち12の郷鎮から死傷者なしとの報告が上がっている。いくつかの郷鎮では強烈な揺れを感じ、一部の家屋に大きな亀裂が生じている。
 他の職員に電話で聞いたところ、地震発生時、室内で大きな揺れを感じたが、県城では倒壊家屋や死傷者はでていない。各郷鎮と県城の距離が遠いため、具体的な状況把握をしているところだ。
 ドンパ県はシガツェ地区の西部に位置し、海抜4700メートル余り、全県の人口は1.8万人。
(8月26日 新華社西蔵頻道)

≪チベット・ドンパ地震で228軒の家屋が損害≫
 チベット自治区ドンパ県の書記である朱江氏に26日電話で聞いたところ、12時までに、いまだ報告が上がってこない辺鄙な地区を除き、地震により228戸の家屋が損害をうけた。死傷者、被害をうけた家畜の報告はない。
 朱江氏は、ドンパ県で228戸が被害を受け、そのうち5戸は倒壊の危険があり、223戸に明らかな亀裂がでている。
 (以下、省略)
(8月27日 新華社西蔵頻道)
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2008年08月17日

中国四川省地震救援ニュース 80

Yさんの元で1ヶ月ボランティア活動をしたTさんの感想文をお届けします。これは外国人(中国人にとって)ボランティアの感想ですが、中国にもボランティア元年の兆しはあるようです。
なお、Yさんは明日から2週間ほど帰国します。

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 目の前に瓦礫の丘がいくつも見える。全壊、壊滅。壊れて、くずれて、ぐしゃぐしゃになったのは建物だけではないだろう。そこの場所が自分の家だったのだろう、生気の抜けた無表情な顔を瓦礫に向けながらおじさんが一人片付けをしていた。これはある被災した町を訪れた時に受けた印象である。

  5月12日 四川大地震が起こった。死者約6万9千人 倒壊件数約5百万棟 被災者は約4千6百万人、これは四川人口の約半分にあたる数である。初め自分はそれを見てもなんとも思わなかった。自分とはまったく関係のない他人事。テレビの中にある現実味に欠けた現実。映画を観ている観客のような第三者的視点。被災者の数字は無機質な記号の羅列でしかなかった。

  そんな自分がボランティアに参加することになったのは約2ヵ月前である。きっかけはNGO団体CODEに所属しているYさんの話に興味をもったことからはじまる。「NGOの基本理念はやりすぎないことにある。被災者が自ら立ち上がらないことには意味がない。だからやりすぎず被災者ができることを残しておいてあげることが大切」 自分の探していたパズルのピースを見つけたような気がした。この人、そしてこの人のやっていることに携わることができれば何か発見があるかもしれない。そう思った。 なんとも自分よがりでボランティアを始めるにはいささか不純な動機。とにもかくにも次の日からボランティアが始まった。

  目的地の村でやるべきことは果てしなくあった。むしろ先が見えないとさえ思った。煉瓦のリサイクル、壁や階段などの打ちこわし、瓦礫の撤去...ETC 何をどこから手をつけていいのか分からないまま他のボランティアメンバーの後に続いて作業開始。 住民が苦労し建設し、そして思い出を積み上げてきたその塊が徐々に形を失っていく。新しく家を建てる為に。新しいローンを抱える為に…さぞ堪えているのではないだろうかという思いがあった。しかし意外なことに村の人たちには活気があった。皆笑顔で迎え入れてくれそして他人を気遣う余裕を持っていたのだ。先に述べた町とは大違いである。

 自分は被災者になったことはない。もし自分が村人達の立場だったらどうだろうか。たえられるのだろうかこんな状況に。受け止められるのだろうか、突然苦労と思い出の結晶が壊れ、さらに次の日から未来の不安にさらされながらのテント生活が始まるという現実に。考えられるのだろうか次にしなければならないことを。そして笑えるのだろうかあの村人達のように。

 途中参加だった自分は知らなかったことだが、来た初めの頃は村全体が暗く沈んでいたらしい。しかしボランティアが入り、再建に向けての小さな、本当に小さな手伝いをし始めてから村に活気が戻ったという。 小さな手伝いが村人に与えた影響は大きい。笑顔が戻り、活気が戻るという非常に大きな驚くべき結果を生み出した。ある人からこんな話を聞いた。「お前たちはまるで天使だ。何も欲しがらなで手伝ってくれる。本当に感謝している!」 これはある村人が言っていたことらしい。 村人を助けたいという聖人のような心を持たず、己の欲求を満たすだけに始めたボランティアなのに、大したことをやった覚えもないのに、村人は笑顔もねぎらいの言葉も、そして大切なはずの食糧でさえも分けてくれる。こんな自分に一番つらいはずの村人が! 今は本当にこの笑顔が消えないことを願い、笑っていられる源に少しでも力添えができたらと感じている。  
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2008年08月13日

中国四川省地震救援ニュース 79

Yさんと最初からずっと一緒に活動してきたHさんが感想文を寄せてくれました。Yさんはこれを読んで泣いたそうです。

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私は今までなんとなく生きてきた
世の中の出来事は特に興味がなく
すべて人ごとで、すぐに忘れていく
自分の暮らしでイッパイいっぱいだった

5.12四川文川大地震が起きたとき 私は中国を旅行していた
地震関連のニュースがテレビを埋め
犠牲者は増え続け、瓦礫の下にはまだ人が埋まっていた
懸命に続く救助活動、地震のことで頭がいっぱいになった
自分の中で今まで人ごとのように見ていたそれが 目の前にあった
やっとこさ完済した借金、やっとこさえた自分の時間
日々の生活に追われて生きてきた今までは、そんなこと考えもしなかった
自分の目で見ようと思い 自分の手で何かをやりたくなった
成都行きのチケットを買った

着いたのはいいがよく考えてみると何をしていいのかさっぱり分からない
自分にいったい何ができるのだろう
自分は何の特技も、知識もなく右も左も分からない
目指す場所は決めていたが、浅はかだと思った

しかしそこでYさんと出会うことができた
彼らの邪魔にはなりたくなっかったが、何でもよかった何か手伝わせてほしかった
Yさんは快く受け入れてくれ、何も知らない自分に
一から十まで分かりやすく説明してくれた

それからはあっとゆうまに過ぎていった
最初村の人の視線は少し冷たくよそ者を見る目だった
どこから手をつければいいのか分からないほどやる事は山ほどあった
それは村人も一緒だった どの家もほぼ手付かずであきらめているように見えた
それでも遠慮なのか、手伝わなくていいという村人を背に
Yさんの掛け声とともに私の村での2ヶ月が始まった

少しづつほんま少しづつだが村の復旧が進んでいく
村人は活気を取り戻し、私たちとの距離は狭まっていくような気がした
国籍、老若男女、被災者と支援者、皆で汗を流し、飯を食い、笑うた
地震があったのを忘れるくらいただ楽しかった

しかし、日が沈む頃私たちは来た道を帰り、村人は倒壊した家に戻っていく
村人の笑顔やあたたかさの中で大事なことを忘れかけた時
被災者によりそい彼らの痛みを受け止めようとするYさんがいた

終わりの見えない作業、暑さと疲労で
自分に甘えそうになった時
いつも横には必死にがれきと向き合う仲間がいた

服は塩吹き泥まみれで
しゃべるのも嫌なぐらいヨレて歩く帰り道
村人は声を掛けてくる、あなたたちお疲れ様、ありがとう、と
負けじと俺も言ってやる、あなたたちこそお疲れさま

最後の日時間をもらい村を見て回った
どの家にも言葉にならないぐらいの思い入れがあり
そこで高く積まれたレンガのようにコツコツと積み重ねた物があった
それは信頼であり、ちょっとパクらせてもらうと絆のような物だと思う

誰かの力になりたいと被災地にやってきた自分だが
振り返ると私はずっと支えられていた
それは仲間であり村の人たちであり支援者の人たちだ

最後にとびっきりのありがとうをもらった
こんな自分でも誰かの支えになれていたのだと教えてくれた
うれしかった、うれしゅうて、少し照れくそうて、涙が止まらんかった

今回の悲惨な大地震、私は忘れません
そしてこれから少しでも応援させてもらいたいと思います
皆さんほんまにありがとうございました

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2008年08月12日

中国四川省地震救援ニュース 78

続けてのYさんレポートです。

 被災地の村は、今、再建に向けて少しづつ動き出してきている。再建の場所を確保する為にわずかに残った家の壁などを崩しては使えるレンガと瓦礫と分別し、再建のスペースを作る。
 ある日、突然いつもの村に軍がやって来た。再建に向けた瓦礫の撤去の為に雲南省から来たそうだ。あるボランティアの仲間は、「ああ、これで俺たちのやることがなくなった。。」と思ったという。
そして翌日再び村に行くと昨日いた軍が一人もいない。いつもお世話になっている組長に尋ねると「ああ、彼らはだめだ。ハンマーで全部崩してしまって使えるレンガまで壊してしまう。お前らはちゃんとわかってくれているからなあ。」と言って軍を追い返したそうだ。
この2ヶ月半ずっと村人と汗を流して来た中で村の人たちはちゃんと僕らを評価してくれているんだと改めて感じた。素直に嬉しかった。
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2008年08月08日

中国四川省地震救援ニュース 77

久々ですが、Yさんレポートをお届けします。

 四川の夏は暑い。成都から車で2時間半かけて被災地の北川県の村へと毎日通う。暑い日中、村の人はあまり外に出ずに、日陰でゆっくり過ごす。僕たちが村に着いて「さあ、やるぞ!」と瓦礫の片付けをやろうとすると「暑いから休め。。」と言う。時にムシロを使って日陰を作ってくれる。そんな心遣いがありがたい。

 瓦礫の中から使える木材、レンガ、瓦を取り出しては分別する。レンガにくくっついたセメントを削り落として再利用する。また崩れ落ちた柱をハンマーで叩いて、中から細い鉄筋を取り出す。そんな作業を毎日していると、本当にセメントやレンガの脆さ、鉄筋の細さ、異常に重い鉄筋コンクリートの屋根をレンガだけの壁が支えている軟弱な構造が素人目にも分かってくる。ボランティアの中にも「この家のレンガは特に脆い」という人も出てくる。

 今、被災地ではようやく再建に向けて少しづつ動きだそうとしている。この機に従来の家屋の構造や資材の質についての指導を地元政府にお願いしたいものだ。さもないと同じ事を繰り返す。この地震で無くなった約8万人の方のためにも残された者は、学ばなくててはいけない。瓦礫の片付けをしながらそんな事を思った。    

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