2008年06月17日

中国四川省地震救援ニュース 47

とりあえず四川の被災地に行き、「何かできないだろうか?」とYさんを訪ね、一緒に活
動する中で、何かを学んで帰る。13年前の阪神・淡路大震災の時にもこんな光景が被
災地の各地で見られた。ボランティア元年といわれ、他方フランスのル・モンド紙が当時
の若者を絶賛した。以下に紹介する今回四川大地震でのボランティアに参加している
一人の若者の感想文を紹介します。これを読んでいて一つ発見した。一人ひとりの中
に、ボランティア性というものがあるのだということ、それがこういう場との出会いによっ
て認識する、発見するということ。一人ひとりの中にもボランティア元年があるんだなあ
と気づいた次第です。

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 まず初めに今回のボランティア活動の機会を与えてくれたCODEのYさんに感謝した
い。この活動を通して学んだり得たものは言葉では言い表せないと思うし、あまり深く考
えたくもない。正直な話、僕は「ボランティア」という言葉が好きじゃない。何だかみんな
がよく使うから、独りでに大きな意味を持つようになったような気がする。例えば、ボラン
ティアをする人は偉いとか、ボランティアをしないからその人は良くないとか。ボランティ
アとは一体何なのか?僕はその答えが今でもわからない。

 僕は今回の地震が起こった時、大学の教室で授業を受けていた。日本にいた時はこ
れほどの大きな地震に遭ったことがなく、初めての経験だった。心配でゲストハウスに
急いで戻るとみんな無事で安心した。2,3日後には中国人の知り合いがゲストハウス
に訪れ、自慢そうにこれからボランティアに行くと言っていた。2,3人泊まっていた日本
人も彼に同行して被災地に行くということだった。その内の一人が僕に「Mさんも一緒に
行きませんか?」と訊ねた時、その中国人の彼は僕にこう言った、「Mさんに何ができる
のかな?」と。あの時の悔しさと自分の無力さは今でも忘れられない。

 今回の地震ですごく感じた事は自分の無力さだ。何かしたい、でも何をしていいかわ
からない。知識も技術も経験もない者が被災地へ飛んで行って何ができるのだろう?
悶々と自問する日々を送った。しかし、他方では自分はただ逃げているだけじゃないの
かという気もした。現地へ行き自分の目で現実を見てから何ができるのか、わかるん
じゃないのかと。ただ、僕は学校で中国語を勉強している身であり、ゲストハウスでも仕
事をしなければならなかった。このような状況でボランティアに行くのは難しいと思った。
それから、日本や他の国からいろいろなボランティアの人たちがここに集まりだした。
皆、車をチャーターして被災地の各地へ調査に行っていた。僕も通訳として記者に同行
して被災地へ行く機会があったけど、四川語が分からないという理由で断った。今考え
ると行った方が良かったのかもしれない。ただ臆病で、ちょっとした勇気がなかっただけ
かもしれない。僕の性格はすごく人見知りするというか、初めて会う人にはなかなか自
分から喋ることができない。

 Yさんたちが来た時も自分から話しすることができず、この結果、他の人たちよりス
タートがかなり遅れた。最初から彼らが何をしているのか聞いていれば、もっと早く行動
に移れたはずだ。Yさんの第一印象が、ちょっと怖そうな気がしたせいかもしれない。日
が経つにつれ、旅行者がボランティアに変わり、ボランティアに参加する人が増えていっ
た。夜になるとみんな疲れているけど充実した表情で宿に帰り、楽しそうに話す姿を見
ると自分も参加したくてうずうずしてきた。特に一人、ゲストハウスのスタッフの若い女の
子がボランティアに参加して頑張っているのを見るとますます触発された。

 最初に参加したのは中国の子供の日で中国のNGOの人たちとあるテント学校を訪
れ、そこに避難した子供たちと一緒に時間を過ごした。以外に子供たちが元気そうで、
笑顔があふれていたのでびっくりしたし、心温まる気がした。子供の逞しさというか、適
応能力の強さみたいなものを感じた。それからは3回ほど、村に入って瓦礫の撤去やレ
ンガやブロックを運んだり、いわゆる土木作業のような労働をした。ある人は、もしくは多
くの人が人のためにボランティアに参加しているかもしれないが、僕は自分のためにや
る。もちろん、結果的には人のためになるかもしれないが、僕はやっぱり自分のために
やる。まず、自然に囲まれた環境で汗をかいて労働するのは大変だけど、気持ちいい。
特に夕方涼しい風に当たると何とも言えない充実感や気持ちよさを感じる。すがすがし
いと言った方がいいかもしれない。あと、みんなで力を合わせて何か一つの事をやるの
はとても楽しい。もちろん、その過程に意見の対立や口論があるかもしれないが、皆で
一つの事をやり遂げるのは楽しい。チームの団結力というか、絆みたいなものが生まれ
る。これに関連するのだが、今回の活動で多くのすばらしい人たちと出会う事ができ
た。

 村人はもちろんのこと、このチームのメンバーみんないろんな人生の道を歩いてきた
人で個性があり、とても面白い。特にYさんの人を寄せ付ける求心力やみんなを統率す
るリーダーシップはすごいと思う。それと、村人の生活を観察して学ぶこともある。いろ
んな道具の使い方とか、どのように御飯を作るとか、勉強になる事が多い。僕は中国語
を勉強しているので、現地の子供たちと中国語で会話したり、意思疎通をするのはとて
も楽しいし、一生懸命に勉強してきた甲斐があったなと、何か報われたような気がした。
やっぱり、勉強していても実際に多く中国人の方たちと話さなければ上手くならない。子
供たちと会話の練習ができるのはとてもありがたい。加えて、Yさんの人生の経験や知
識はとても豊富で、彼の話を聞くだけでも勉強になる。地震に強い家の建て方とか、い
ろんな事を勉強してきた人なんだなと思う。Yさんの話は興味深いし、好奇心をそそられ
る。おそらく、僕は人間的にまだ未熟かもしれないが、やっぱり現在の僕は自分のため
にボランティアに参加する。「人のために」と格好いいことなんてできない。自分の事で
精いっぱいだと思う。それで、一体ボランティアとは何なのかと自問する。まだわからな
い。ただ、今回の活動で感じたのは、「とりあえず自分ができる事をしっかりやる」という
事だ。

 最後にYさんをはじめ、ボランティアに参加した仲間たち、温かく迎えてくれた村人た
ち、ゲストハウスの同僚、スタッフたちなど、何らかの形で支持してくれた人たちに感謝
したい。                              謝謝、大家!
 しかし、まだまだこれからだと思う。まだまだ先があり、被災地の人々が元の普通の
生活に戻るには長い長い時間がかかるだろう。これからもどうやって関わってサポートし
ていけばいいのか、まだ自問が続くのだろう。

                              M.M
                              2008年6月13日
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2008年06月16日

中国四川省地震救援ニュース 46

日本のメディアでも指摘されていますが、中国政府は被災地への取材規制
をはじめ、外国人ボランティアや自国のボランティアへの規制が強くなってい
るようです。そんな中で、少し残念な情報が入りました。

以下は、CODE翻訳ボランティアからの情報提供です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪NGO連合事務所最後の1日≫
瞭望東方周刊 記者:呉芳蘭

  「ひとりひとりがとても大切で、
    ひとりひとりがその能力を発揮し、
     ひとりひとりが変化をもたらせるように」

 「NGO四川地区救援連合事務所」の壁にはこんな言葉が貼られている。こ
の大地震後にできたこの連合は「5月30日をもって作業を終了する。1か月
以内に物資財務報告をすること。」と宣言することとなった。大地震後、NGO
の数団体は自分たちになにかできるのではないか考えと、ゆるやかな連合
という形で民間の地震救援団体をつくることを決定した。5月14日に「NGO四
川地区救援連合事務所」として正式に発足し、全国150のNGO団体が参加
した。これは全国でも初めてのNGOの大連合だった。
 
 5月30日、成都市一環路東5段108号の東恒国際二棟一区のひとつの部
屋では、3人の女性が忙しく働いていた。広東から来た『水瓶』がテントの在
庫を調べているところで、「綿竹市漢旺鎮では少しテントが足りないの。昨日
の雨で数人の被災者が濡れてしまったって。」『水瓶』は中山大学人類学部
公民と社会発展研究センターの財務職員で、彼女は主に連合事務所での
帳簿管理を任されている。「実はなんでもします。雑用も。」彼女は笑って
言った。彼女は継続してパソコンにボランティアの情報を打ち込んでいた。解
散に際しては「特別何もしませんよ。できれば31日の朝に記念写真を撮っ
て、漢旺鎮にテントを建てて、また仕事です。」「車はもう探して準備できた
よ。今晩テントを運ぼう。」とひとりのひげ面の芸術家タイプの男性が入り口
のところで言った。彼は雲南玉渓にある発展訓練学校の校長で主に国際ボ
ランティアを養成している。

 数日前、連合事務所はネットを通じて解散の公告を出した。「NGO四川地
区救援連合事務所と各地区に成立したチームは解散します。5月25日から
各地区では救援物資を受け取れません。もしも各地区に在庫があるようでし
たら、自分たちの判断で赤十字や現地のNGOに回してください。」「そうは
言っても私たちの仕事はまだ続きます。方向転換をするだけです。NGOの役
割は物資の収集だけではありません。教育や文化、環境などのソフトの部
分もあります。」
 現在、彼らは場所を探して、被災者がなにを必要としているのか情報収集
している。そしてメニューリストをつくり、各NGOはそれぞれの得意分野を選
択して、そして数十もしくは百のNGO団体が一緒に活動する。
 「もしできれば、私たちは仮設住宅にも活動の場を広げたい。」そう考えて
いる。そして、これから3年かけて、政府の仮設住宅が建て終りその地区の
サービスが比較的整ったら「その時は私たちが退く時。他の事をしますよ。」
ここはもともと「成都根芽環境文化交流センター」の事務所だ。NGO連合事
務所がここに落ち着いてからは、各地のNGO団体やボランティアがここに足
を運び、ここから被災地に出発していく。主な仕事は緊急援助物資を被災地
に提供することだ。羅丹は「成都根芽環境文化交流センター」の中心責任者
だ。1981年生まれの彼女はこのNGO連合事務所の発起人のひとりで物資
の管理をしている。羅丹は、5月12日の午後5時か6時ごろ全国の多くの
NGO が何かしたいと思っているだろうと、NGOがよく利用する交流の場であ
る「NGO発展交流ネット」の責任者の陸非を探し当てた。なぜなら彼が一番
顔が広いからだ。
 夜10時ごろ、いくつものNGOが一緒になにかしたいと希望を表明してき
た。「以前は各NGOはそれぞれ活動していた。あなたは教育で、私たちは文
化というように。協力してもそれは人材養成など限られていた。こんなに大規
模な連合はしたことがなかった。」

 5月13日、成都に協調事務所を設置することを正式に確定した。「私たちは
捜索や医療の専門家ではない。私たちのできることといったら、当時一番重
要だったのは物資の救援だった。」連合事務所はその下にいくつかの部門
を設けた。「ボランティア管理」「物資」
「財務」「政府関係」「後方支援」「協調」「車輛」「前線連絡」など。このほか
各地に簡単な仕事の分担があった。例えば、成都では政府との連絡と協
力、被災状況の調査、物資の拠点。貴州省では数十の民間団体がチーム
を組んで物資の収集と成都への運搬をしてくれた。雲南でも物資を収集し運
搬してくれた。 
 
 5月14日物資の第一便が成都に到着した。この日に連合事務所は正式に
仕事を始めた。現在、価格にして1000万元(1億5000万円)を超える物資が
ここから送り届けられた。
 現在、民政関係部門はすでに大量に被災地に物資を送り届けている。被
災地も再建の段階に入っている。「NGO連合事務所の主要な仕事は物資を
集めることであり、その使命は終わった。」「しかし私たちは再建に向けて一
つの計画を持っている。もっと多くのNGOが自分たちの特徴を生かして、被
災者のために動く。」
 NGO発展研究に携わる四川省社会科学院研究員の郭虹によると「地震発
生からすでに20日経ち、社会の関心もだんだん移りゆくかもしれない。しか
し被災者の生活はようやく始まったばかりだ。NGOの働きは被災地の再建
のなかでさらに実現していくだろう。」
 郭虹の考えでは、この地震のあと、多くの人々のNGOに対する印象は変
わるだろう。中国NGO発展の新契機となるに違いない、と。   
 (6月10日 瞭望東方周刊)
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2008年06月15日

中国四川省地震救援ニュース 45

静岡県ボランティア協会がとりまとめをして下さっている「四川省大地震被災
地へ テントを贈ろう」運動で集まったテントは、静岡県が姉妹都市を結んでい
る淅江省を通して、被災地広元市青川県に届けられることになっている。こう
して今回の四川大地震の復興に関して中央政府は全国21の市や省に相手
先を割り当てて支援させる政策をとっています。これを「対口政策」というそう
ですが、北京市は以下のようなことをしています。
(以下の情報は、CODE翻訳ボランティアからの提供です。)

≪北京のボランティア被災地支援、500時間の寄付計画≫

9日、「北京ボランティア被災地支援リレー計画チーム」第一陣8名が四川へ向
かった。彼らは成都、徳陽、什ほう(方におおざと)へ別れ、7日間の仕事を行
う。北京ボランティア協会連合が計画した「500時間の寄付計画」に目下2700
名余りのボランティアが申し込みをしている。審査を経てパスしたボランティア
は北京で、または被災地で医療、教育等の仕事をする。一人当たりの仕事時
間は500時間。
市の委員会によると、最初のグループ8名とは電話連絡を経て、第一次選考、
面接などで選抜された。この8名は中央機関、国営企業、民営企業、北京市
立高校等の出身で、環境保護工事、土木工事、法律、教育、心理学などの専
門の知識がある。彼らは当地のボランティアと協力し、被災地のためにさまざ
まな要求に応えていく。
(新京報 6月9日 05:16)

≪北京市:什ほう市支援のため、公費10%を削減≫

6日午後、北京市は被災地区支援指導チーム指揮部の第一回目の会議を開
き、被災地区の再建政策措置を発表した。北京市は暫定的に3年間、政府の
事務経費など公費10%を削減し、相手先の四川省徳陽市の什ほう(方におお
ざと)市への支援に充てる。北京市財政局によると上述の公用経費の主なも
のは政府の事務経費で、出張費、会議費など。財政局は10%の削減を捻出す
るため、さらに細かく公用経費の見直しをはかる。
また会議では、被災地再建のための第一次案について討論した。近いうち
に、都市交通、教育、医療衛生、農業、住宅、現地工業・企業生産回復につ
いての措置を発表する。
(京華時報 6月7日 02:04)
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2008年06月14日

中国四川省大地震救援ニュース 44

四川大地震発生後まもなく被災地に入って、調査および瓦礫の片づけや仮
設住宅建設などのボランティアをしてきたYさんが、昨日一時帰国してきまし
た。明日15日のCODE総会後の懇親会で近況を聞くことになりますが、翌16
日は名古屋、17日は神戸学院大学、19日はコープこうべ災害緊急支援基金
に報告、21日はFMわぃわぃ特別フォーラムでのアピールなどのスケジュール
が入っています。(詳細は事務局に問い合わせて下さい。)
 なお今回の帰国の空路についてはJALの無償供与によってご支援いただき
ました。

また、レスキューナウは緊急発行した冊子の売上の10%をCODEに寄付して
下さることになりました。
「緊急発行!レスキューナウ特派員現地報告中国四川大地震」特設ページ
http://www.rescuenow.net/topic/shisen_kinkyu.html

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2008年06月12日

中国四川省大地震救援ニュース 43

今日12日は、中国四川大地震から1ヶ月目です。マスコミ各社も特集を組んで
います。
以下は、Yさんからの現地レポートですが、被災当事者自身が苦しみを乗り
越えて、住まいの再建などに取り組む姿は、見ている側も痛ましい限りだが、
一方元気を貰うことにもなります。そうした人と人、あるいは人と瓦礫という”関
係性”が、少しづつ恢復力の弾みをつけるような気がします。このレポートを読
んでいて思い出すのは、2001年インド・グジャラート地震の被災地で耐震建築
のワークショップをした場所のことです。SEWAというNGOの指導のもとで、被災
住民が瓦礫を片づけながら、再利用できる鉄筋や木材、竹、石などを分別し、
空いたスペースで事物大の住まい建築を通しての”耐震ワークショップ”だった
のです。そのモデルの家のすぐ近くには、まだ崩れた家々がそのままになって
おり、正直複雑な思いをしたことを鮮明に覚えています。

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 北川県のとある農村での話。デコボコの未舗装の道沿いに倒壊した家屋が
点々と続く。被災地の中で支援の格差が広がりつつある状況でいつも見落と
されがちな農村部に入った。丁成洪さん(43)の96年に建てた家は、この地震
で脆くも崩れ去った。どこから手をつけていいのか分らないような瓦礫の山を目
の前に肩を落としていた丁さんだが、日本人ボランティア5人が一斉に瓦礫の
片付けを始めるとそれに触発されたのか重い腰を上げて動き出した。それを見
た奥さん、娘さんも。使える木材やブロック、瓦を拾い、瓦礫を片付ける。次第
にきれいに整理されていく事で気持も少し変わっていくようだった。二日目の作
業を終えた後、別れ際に丁さんは、「本当になんとお礼を言ったらいいか分か
らない。すごく勇気をもらったよ。」と笑顔を見せてくれた。ボランティアは、被災
者自身が立ち上がるきっかけを与えることしかできないのかも知れない。後
日、丁さんの言葉を聞いた日本人ボランティアは涙を流していた。

P5260321-s.JPG
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2008年06月11日

中国四川省大地震救援ニュース 42

明日で、中国四川大地震から1ヶ月になります。CODE翻訳ボランティアが
提供してくれた次のニュースにもありますが、すでに仮設住宅は57000軒が
建っています。また、臨時生活補助金なるものを受けとったのが500万人に
達しています。
以下、翻訳ボランティアによるものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪四川省500万人の被災者が生活補助を受給≫

 6月9日四川省民政庁によると、5月28日から6月8日に四川全省で臨時生
活補助金と食料を受け取ったのは512.2万人、総額で14.6億元(約230億
円)食料はおよそ6万トン。
 一方、地震による死亡者への慰霊金はひとりあたり5000元(7万5000円)
が家族に支給されるが、現在のところ総額6698.5万元が支給済み。また、
亡くなった人の火葬費用は無料と定められたが、地震直後には火葬場で費
用が徴収されたケースがある。大多数が家族に返還されたが、まだ一部返
還されていないので、公告をだし、電話連絡するよう呼び掛けている。
                            (6月9日 中国新聞網)

≪民政部:テント調達数約95万張≫
 6月9日12時現在、被災地で調達できたテントは95.07万張(*当初目標
は300万張)、ベッド476.27万床、衣服1396.60万枚。
                               (6月9日 新華社)

≪住宅と都市・農村建設部:仮設住宅は57100軒が完成≫
 6月8日現在、四川省の被災地で完成した仮設住宅は57100軒、建設中
が23100軒、運送中が55500軒、運送待ちが65900軒。
                              (6月9日 新華社)
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2008年06月10日

中国四川省地震救援ニュース 41

ニュース36でYさんたちのボランティア活動のことに触れましたが、その1人I
さんから感想文をいただきました。彼は以前、成都に来た時に知り合った友
人の中国人(享年22歳 SIMSゲストハウスの従業員)の死を知り、旅先の
トルコから駆けつけてきたボランティアです。悲しい再会になりましたが、今は
元気に被災地で活動しているそうです。

-----------
成都にはもともと来る予定でしたが、トルコで今回の地震のことを知り急遽旅
を終え、来ることを決めました。正直、最初はボランティアのことより彭飛のこ
とが心配でした。しかし、途中で彼女の死を知りショックではありましたが、四
川に思い入れがあるため自分が何ができるか分かりませんでしたがボラン
ティアに参加したいと思いました。

初日、現場に向かう途中の被災地の状態に驚きを隠せませんでした。震源地
に近いところはさらに酷い状態だとは思いましたが、それでも目にする光景は
悲惨としか言いようがありませんでした。完全に瓦礫の山と化した家々、自分
たちで作った簡素なテント・・・

しかし、こんな状況でも商売や野良仕事をする人々がいました。彼らに力強さ
を感じ、というか「なんでこんな状況で働けるん?」という驚きのほうが強かっ
たです。現場でも、笑顔を絶やさない村人たちにこっちが逆にパワーをもらっ
た気がします。

ボランティアのメンバーたちにも元気をもらいました。当初は彼女の死もありか
なり落ち込んでいましたが、彼らと一緒に仕事をする中で徐々に癒されまし
た。

そしてYさんの村人たちの視点で活動をされる姿に感動すると同時にこの
NGOに入れたことをうれしく思いました。ただ今の状況をどうするかだけでな
く、この先もどうしていくかということを考えてられることにも感銘をうけました。

まだまだこれから被災地で様々な問題が生じると思います。これから夏にか
けて気温や湿度が上昇する中で幼い子供や高齢者たちの健康状態、今後の
新しい住宅の問題、子供たちの教育などなど、短期間では改善できないこと
がたくさんあると思います。

自分にできることは限られていますが、今だけでなく今後も彼らの支援をして
いきたいと思います。

今回、参加できて本当に良かった、と思います。そして、良い経験をさせてい
ただきました。ありがとうございます!

P6050075-s.JPG
posted by CODE海外災害援助市民センター at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 救援ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中国四川省大地震救援ニュース 40

大規模災害後の課題として重要な一つに、生計の再建がある。この
ニュース26で、被災地外の企業が積極的に雇用機会を提供しているとい
う話です。もともと四川省では、出稼ぎで生計をたてている人が多いとい
われている。CODE翻訳ボランティアさんが提供してくれた昨日の情報
で、こんな関連の記事があったので紹介する。ただ、やむを得ないとはい
え、残される家族の不安を考えると手放しでは喜べず、再建して生きてい
くのに厳しい選択である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「四川の被災者400名、国外へ出稼ぎ」
 6月2日 午前3時過ぎ、四川広元市利州区の村民楊孝蓮さんは起き上
がり、暗闇の中で仮設テントの外に築き上げられたかまどに火をおこし
た。夫の張必生さんはこの日アルジェリアへ働きに出る。おそらく2年は会
えないだろう。彼女は夫のために温かい食事を作ろうとしている。
 今回、他に34名の被災者が張必生さんと共にアルジェリアへ行く。彼ら
は地震後、利州区で最初の外国への出稼ぎ団体である。四川の被災地
区では地震前に約2,000名が国外で働いていたが、地震後さらに400名
の被災者が国外へ出稼ぎすることとなった。
 張必生さんの家は地震で深刻な被害を受けた。4間からなる瓦葺の建
物は全て倒れ、一家5人は帰るべき家を失った。

 5月12日の地震により利州区全体で18万世帯が被害を受けた。そのう
ち2万世帯近くの家屋は倒壊し、22万人が家を失っている。長年にわたっ
ての蓄えで築いてきた家がなくなってしまったのだ。新しく立て直すには
お金が必要だ。これらの収入の問題を解決するため、利州区委、区政府
は彼らのために仕事の仲介をするサービスを開始した。すぐに新疆、広東
など仕事の需要の大きな地区や国外の仲介会社を通してスーダン、UAE,
ロシアなどでの仕事を調達し、また同時に労務部は出稼ぎ農民の家庭の
問題解決のために子供たちの就学や老人の扶養、農業生産などを手助
けをしていく。

 出稼ぎ者が安心して外で働き、被災者が出来るだけ早くこの困難から
抜け出し再び家を持つ基礎を作るためだ。被災後まもなく利州区労務部
門は村で出稼ぎの情報を提供し、電気工の技術を持つ張必生さんは申し
込みした。翌日、彼は健康診断を受ける通知を受け取り、第一次選考を
経て彼はアルジェリアへ派遣されることになった。旅費9000元余りは全て
国外の会社が出す。出国前に張必生さんと34人の農民工は訓練を受
け、6月2日午前、北京への直通バスに乗り、その後飛行機で国外へ向
かうことになっている。

 出発の日の朝、張さんの家族、楊孝蓮さんと小さな娘は車を乗り継ぎ、
集合地まで見送りに出かけた。道の端で労働局の職員によって記念写
真の撮影が行われ、準備されたプレゼントなどが渡された。
 「みなさん、一緒に記念に写真をとりましょう。たいした事はできません
が、花束をおくります。みなさんの道中の無事を祈ります!」
 身内との別れに集団の中から泣き声が聞こえ始め、瞬く間に広がって
いった。「とてもつらいですが、政府が私達を助けてくれるので私達も頑張
れます。お金を稼いで帰ってきて、また新しい家を建てます。」
 目下、被災地区では2000名が国外で働きつづけており地震後はさらに
少なくとも400名の被災者が日本、インドネシア、スーダンなどへ向かい
仕事をしている。政府と派遣会社の職員は共に彼らの家庭を見舞い、生
活の再建の手助けに全力をつくすことを約束している。           
          (新華網 成都6月2日 21:00 )

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2008年06月09日

【四川省救援ニュース号外】「四川省大地震被災地へテントを贈ろう」

本日、静岡県庁にて「四川省大地震被災地へテントを贈ろう」運動について、記者発表が
行われました。詳細は下記の通りです。与党議員の会も被災地にテント300張りを持って
いったということですが、市民運動として盛り上がればと思いますので、是非、多くの方に
ご協力いただけますようお願いいたします。

-------------
四川省大地震被災地へテントを贈ろう

5月12日に発生した中国四川省の大地震では、多くの人命が奪われました。
このたび静岡県ボランティア協会は、全国の民間ボランティア団体と協力して、四川省
大地震被災地へテントを贈る運動を展開することになりました。この運動は、日本航
空、静岡県、浙江省の協力を得て実現したものです。
ぜひ多くの方にご協力いただけますようお願いいたします。

募 集 内 容

募集する物 テント(目標1000張)
※5〜6人以上が利用できる新品のもの
※送料として1張につき3000円のカンパをお願いします。
締 切  7月10日(木)
提供方法  静岡県ボランティア協会にご連絡ください。協力申請書をお送りします。
テントは宅配便または郵送で、申請書はテントとは別に下記まで郵送またはFax
でお送りください。カンパは郵便振替でお願いします。

カンパ振込先(郵便振替)

口座番号  00800−4−131280
名 義   特定非営利活動法人静岡県ボランティア協会
    ※通信欄に「四川省大地震被災地にテントを贈る運動」と明記してください。

問合せ・送付先

特定非営利活動法人静岡県ボランティア協会「四川省大地震被災地へテントを贈る
運動」係
〒420-0856静岡市葵区駿府町1-70静岡県総合社会福祉会館内
Tel:054-255-7357 Fax:054-254-5208    E-mail:evolnt@mail.chabashira.co.jp

【費用負担内訳】
協力者→静岡県ボランティア協会・・・・・・協力者
静岡県ボランティア協会→成田国際空港・・・カンパ/静岡県ボランティア協会
成田国際空港→中国杭州・蕭山国際空港・・・日本航空
中国杭州・蕭山国際空港→四川省被災地・・・浙江省

【呼びかけ団体】(平成20年6月8日現在23団体)
被災地NGO協働センター/ピースウインズ・ジャパン/レスキューストックヤード/とち
ぎボランティアネットワーク/震災がつなぐ全国ネットワーク/全国災害救援ネット
ワーク/新居浜災害を考える実行委員会/日本災害救援ボランティアネットワーク/
災害ボランティアオールとちぎ/ネットワーク三宅島/プラス・アーツ/浄土宗應典院
/島原ボランティア協議会/阪神高齢者・障害者支援ネットワーク/ボランティアそよ
風/中部防災ボランティア/中越復興市民会議/(福)大阪ボランティア協会/(財)
富士福祉事業団/(福)世田谷ボランティア協会/東京ボランティア・市民活動セン
ター/(財)たんぽぽの家/静岡県ボランティア協会
【賛同団体】(平成20年6月8日現在)
市民活動センター神戸/豊年福祉会/きょうとNPOセンター/塩谷集落/奈良地域
取材班 若芽/他団体・個人賛同者受付中
【責任母体】
特定非営利活動法人静岡県ボランティア協会
〒420-0856静岡市葵区駿府町1-70県総合社会福祉会館内 Tel054-255-7357/
Fax054-254-5208

※私たちはミャンマーのことも忘れてはいません。
---------------
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2008年06月08日

中国四川省地震救援ニュース 39

今回の地震で被害の大きかったアバ地区の被害全容が明らかにならないが、
中国政府とはここに住むチャン族の継承してきた伝統文化の数々を残さなけれ
ばならないと、専門の委員会を設置して調査をはじめているようです。そのうち、
建物に関しては特に高さ50b〜60bもある石積みの「ちょう(いしへんに周)
楼)」が壊れていないところも数多くあるようで、何故壊れなかったのかの検証が
必要になってくるでしょう。
以下はCODE翻訳ボランティアの情報提供ですが、やはり全容が明らかになる
には時間がかかるようです。

≪チャン族ちょう楼はほぼ無傷≫

 国家文物局の記者会見上、 被災地で撮った写真を公開した。そのなかで専
門家がチャン族のちょう(いしへんに周)楼が大部分は壊れなかったことを述べ
た。
 アバ地区にはチャン族のちょう楼が数多くあり、高いものでは50〜60メートルあ
る。この地震では1,2のちょう楼が倒壊しただけだった。その他は亀裂がはいっ
ているものの無事でチャン族ちょう楼の堅固性を証明した。専門家は、ちょう楼の
保護修繕方法案について、「もとの位置、もとの形式、もとの材料、もとの工芸」
の4つの原則を示した。

 また、チャン族の居住地、茂県、北川県のふたつの博物館が所蔵するチャン族
の文物の損傷がひどいこと、チャン族の口承の歴史や文字についての記録が廃
墟に埋まってしまったこと、ある年配のチャン族無形文化財の伝承人が地震で
亡くなったことを発表した。その他の被害状況は調査中である。          
      (6月6日 新華網)

≪ぶん川黄土群ちょう(いしへんに周)地震でも無傷 すでに1000年の歴史≫

 5月31日、記者は3時間歩いて、海抜2200メートルのぶん川県威州鎮布瓦村
に着いた。村民はうれしそうに記者に告げた。彼らの宝物の黄土群ちょうは依然
そびえていた。
 村民の楊成雲さんによると、黄土群ちょうは4つあり、そのうちひとつは石造り、
3つが黄泥でできている。多くの村民の家も黄土ちょうを削って作っている。今回
の地震で多くの家屋は大きく裂け目がはいり、山裾の多くの鉄筋コンクリートの
住宅、石瓦の家は廃墟と化した。

 布瓦村にある石造りのちょう楼は大きな被害を受けた。記者は崖に立っている
石のちょう楼の上半分が削り取られているのをみた。一方、三つの黄土ちょう楼
は依然立っており、てっぺんが崩れたのと、裂け目が少し入っただけであった。
 村の老人によると、この三つの黄土ちょう楼はすでに1000年以上の歴史をも
ち、1933年、1976年の地震にも耐えている。        (6月4日 四川日報)

http://www.qiangzu.com/Article/UploadFiles/200706/20070615091745320.gif

≪布瓦黄土群ちょう≫

 ぶん川県威州鎮布瓦村の布瓦黄土群ちょうは四川省で唯一集中分布してい
る黄土群ちょうである。黄土ちょうと石ちょう合わせて49あり、建造時代は漢から
清と2000年にもわたっている。2006年5月全国重点保護文物に指定された。
 布瓦村は威州鎮(ぶん川県城)に属す山の中腹の村である。岷江の西側の高
山地帯にあり、ぶん川県城を望む。黄土群ちょうは山に沿って建てられていて、
東西4000メートル、南北3000メートル内に分布している。早期の遺跡は多く北部
に分布する。

 黄土ちょう楼は45あり、四角ちょうである。本体は石片で作られており、高さ
1.6メートル、幅1.5〜1.7メートル(石片の大きさか?)。本体には現地の豊富
な黄土で固めてあり、下の方は大きく上の方は小さく作られている。内部は木造
で、7階〜9階。一階の東側の壁のまんなかに入口があり、高さ1.8メートル、広
さ0.8メートル。4階の東側と5階の南側にも小さい出入り口がある。各階には1,
2の長方形か三角形ののぞき窓があり、高さ20〜30センチ、幅10〜20センチ。
 石造りのちょう楼は4つあり、そのなかの八角形と六角形はすでに失われ、5角
形と4角形が残っている。建造時代は明と清である。これらのちょう楼は石ころや
石片を材料とし、小石で楔縫いし、黄色粘土に草を混ぜた粘着剤でくっつけてあ
る。上に行くほど小さくなる錐体の形をしている。壁の厚さは下の方が厚く上の
方が薄くなっていて、内部はまっすぐ、外部は斜めになっている。内部には横梁
が渡してあり、梁で数階にわけられていて同時に壁を支える役割を果たしてい
る。

 このちょう楼は2000年前の秦漢の時代には四川の西北の高原で作られており
「史記」にも記述がある。最初のころは、防風や防盗のため、貯蔵や人が住む民
居として使われた。その後絶えず変化し、「官寨ちょう」「界ちょう」「風水ちょう」
「戦ちょう」として使われた。「官寨ちょう」は権力の象徴であり戦時には避難した
り貯蔵に使われた。「界ちょう」は境界線をあらわす建物として使われた。「風水
ちょう」は造型が独特で大きさは比較的小さい。魔除けに使われた。「戦ちょう」
は交通の要衝に多く作られた。比較的視界がひらけた地区にあり、のろしをあ
げ、砲を鳴らして警報を出したり情報を伝達する役目を果たした。「戦ちょう」は単
体もしくは複数で軍事防御体制を作った。布瓦黄土群ちょうは数度の地震にも耐
えてそびえている。
                 (2007年6月15日 アバ日報より…写真も)

≪四川省;チャン族文化生態保護区を再建≫

 6月3日に四川省文化庁は「チャン族文化生態保護区第一次再建案」を公布し
た。保護区はチャン族特有の建築様式、民俗風習、祭祀などを体現できる環境
を確保する。
 「5.12」ぶん川大地震はチャン族文化保護区に大きな被害をもたらした。不完
全な統計ではあるが、もっともチャン族特有の建築である「ちょう(いしへんに周)
楼」と「チャン族村(羌寨)」は多くが破壊されてしまった。理県桃坪チャン族村の
3つの有名なちょう楼には裂け目ができ、先端部分は崩れた。ぶん川県の古くか
らのチャン族村、るおぼ村は破壊されてしまった。現在、全国30名以上の専門
学者がチャン族文化を救い守ろうと討論をしている。
 専門家が提案して定められた「チャン族文化生態保護区第一次再建案」では、
「救助、保護、再建、利用、発展」が基本原則である。チャン族文化を代表する
伝承人、特有の人文環境、自然生態、建築、民俗、服飾、文学、芸術、言語、
伝統工芸およびそれに関するもの、文書、写真、音像資料などが重要な保護内
容となる。各地区の重点・特色としては、ぶん川の釈比文化、羌繍、黄泥彫、北
川の大禹文化、理県の石彫民居建築、蒲渓チャン語、服飾、生活習俗などがあ
る。保護と同時にチャン族区文化観光特色産業をつくり、被災地回復再建を早め
る。                    (6月4日 四川日報)

上の四川日報の記事にでているように桃坪郷では尖塔が崩れかけているようで
すが、基本的には石造りの民居は倒壊を免れたようです。

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中国四川省地震救援ニュース 38

今回の地震で、悲しいことに多数の学校が倒壊し、父母等が「手抜
き工事が原因!」として訴えています。前にも触れましたが、同じ被害
の大きかった綿陽市北川県の小学校で誰一人けがをしなかった小学
校があるようです。以下はCODE翻訳ボランティアによるものです。ここ
に出てくる「希望小学校」とは 、個人や団体の寄付により中国の貧困
地域に建てられる学校のことで、日本からも多くの寄付で学校が建て
られています。長くなりますが、このメールの最後の方に、この希望小
学校への寄付についての案内の文書を添付します。

≪北川とう(登におおざと)家「劉漢小学」死亡者ゼロの真相≫

 私はここに奇跡を書きます。この奇跡は北川とう家劉漢小学のことで
す。483名の児童はひとりも亡くなっていません。そのうちの71名の児
童は2日かけて徒歩で3つの山を越え原始林を抜け綿陽に逃げること
に成功しました。さらに大きな奇跡は、10年前にこの倒壊しなかった希
望小学を建てた誰かがいるということ。
 小さい頃から小児麻痺を患っているため左足が不自由なとう麗君は3
階から下へゆっくりと降り外に出たところだった。太陽がかげったと思う
と、地面が吼え動きはじめた。彼女は必死で走り始めた。おそいなが
らもそばの竹林にはいずりこんだ。体育教師が「はやく校庭に逃げ
ろ!」と叫び、何人かの女子児童が校庭にでてきた。3分後には全校
483名が集合した。そして、学校責任者の肖暁川は9名の同僚と家族
のいない71名の児童を連れて2日がかりで、そして水も食料もない情
況で、海抜2000メートルを超える山を含め三つの山を越えて、綿陽ま
で到着した。中には4歳の未就学児の子もいた。

 (中略)

 もしもあの日、とう家小学校が北川中学校のように数秒で崩れ去って
しまっていたら、後の伝説的な山越えは存在しなかっただろう。実際
は、児童がひとりも亡くならなかったし重傷を負った児童もいなかった。
正式には「劉漢希望小学校」と呼ばれるこの校舎は崩れなかっただけ
でなく、奇跡的にガラス一枚割れなかった。この大地震で無数の学校
がドミノのように崩れ去りたくさんの児童生徒が亡くなったというのに、
この建築は奇跡とはいえないだろうか?私は非常に興味を持った。誰
がこれを作ったのか?
 「漢龍集団」という会社がある。この会社は10年前にとう家小学を寄
付した企業だ。オーナーは「劉漢」、社長は「孫暁東」という。この学校
を建造した際、監督をしたのは当時、会社の「事務室主任」だった人
だ。私は昨夜この「事務室主任」をつかまえることができた。彼は話を
してくれたが、決して私にその名を明かさなかった。不必要な面倒を起
こしたくないからだ。なので、私は「X氏」と呼ぶことにする。

1、10年前、劉漢と孫暁東は部下のX氏に対して、「何がなくても教育
だけはしっかりしなきゃならん。今回の建築は必ずいい質のものを作ら
なければだめだ。もしも校舎が粗悪なために何かあったときは、君は
会社にいられないぞ。」と言った。

2、10年前のある日、X氏は監督中に工事施工会社のコンクリートに問
題があることを発見した。泥が多すぎたのだ。X氏はコンクリート生産会
社の副社長を務めたことがあり玄人だったので、彼は怒った。施工会
社の社長に要求し、泥をきれいに洗い流させた。彼はさらに扁平な石
を使ってはならないと主張した。扁平な石が入っているとコンクリートを
注ぐ過程でコンクリートの結実度は大きく下がる。彼は施工業者に雷を
落とし、扁平な石を全部取り除かせた。

3、会議中に、彼が工期の遅れについて尋ねたとき、施工会社の責任
者は「まだだ」という目をした。それで現地政府からまだ経費が下りて
いないことがわかった。寄付の原則として、企業の寄付はまず現地政
府の関係機関に届け、政府が施工会社に工事の経費を渡すことに
なっている。しかしそのときにまだ資金を受け取っていなかったのだ。
(ここで疑ってみるのが中国の慣例である)。X氏はまた怒り、追及し、
経費を届けさせた。

4、竣工式の前に、ある原因で工期がまた延長することになって、X氏
はまた怒りだした。関係機関と激しく言い争った。9月19日学校はよう
やくあたらしくきれいな校庭が完成した。彼はこの校庭を見てとてもう
れしかった。ここが10年後に483名が逃げ込んだ場所になる。

 施工期間、人々はいつも2種類の音を聞いていた。ひとつは工事機
械の音であり、ひとつはX氏が怒ってお金のことで言い争っている声
だった。肖暁川は私に言った。「彼が監督をしてくれたおかげです。彼
がかけあってようやくお金が出たんです。」
 私はもう多くを語る必要はないと思う。ひとりの中国希望小学校の寄
付の規則をよく知る人が言った。「児童が全員無事に逃げられたのは
ひとつの奇跡であるが、漢龍集団のX氏が言い争ってお金を正規の用
途につかわせたのはさらに大きな奇跡だ。通常、言い争いは何の役に
も立たない。お金は間に合うように支出されることはないのだ。」(なぜ
今回学校がこんなにも多く倒壊したのか、直接的に言うことはできない
が、常識のあるひとならわかるであろう。)
 さきほど、X氏が私にショートメールを送ってきた。彼の同意を得ては
いないが、今後希望小学校を建てたいと思う人に注意を促すために書
いておく。お忙しいところ失礼します。責任を持ってあなたに言います。
私たちが自ら関わった綿陽の5か所の希望小学校は今回の地震で壊
れず無事です。教師も児童も無事です。
                     (5月19日 李承鵬のブログより)

5月20日 新快報による続報(抜粋)
≪X氏の単独取材≫

 「ここ2日で自分で五ヶ所の学校を見てきましたが、壁に小さな亀裂
ができた以外、何も倒れていません。」X氏の語気にはあきらかな自負
があった。
 最初、ネットユーザーは建築の質が高いことが必ずしも倒れなかった
理由ではないだろうと疑う者もいたし、震源地やその他の要因が考え
られたが、5か所の同じところが建てた希望小学校がどれも倒れな
かったということは、建築の質が関係あることを証明している。

 X氏がこの5校のことに言及した理由は関係部門にさらに学校建築と
いうものを重視してもらいたいからで、「このような悲劇は二度と繰り返
してもらいたくない」と述べた。
 X氏は記者にこの5校の名前を明かした。
 ・北川劉漢希望小学校
 ・安県紅武村希望小学校
 ・江油白玉漢龍希望小学校
 ・江油含増鎮長春村小学校
 ・北川擂鼓鎮漢龍教学大楼

 漢龍集団は数年来、寄付で数校を建てている。2007年6月19日四川
漢龍集団公司はアバ教育事業寄付式をぶん川県威州州学校で挙行
した。アバ州ぶん川県威州中学校、マルカン中学校、州中職校、州教
育基金会などに合計1000万元(1億5千万円)を寄付している。

------------------------------------- 
≪希望工程の方針≫

 希望工程は民間資金を募集することによって、中国貧困地区の学校
へ行けない子供達を救助し、教育条件を改善し、全ての子供に教育を
受ける権利を実現するための公益事業である。

一.寄付者への案内
  1.一般寄贈: 金額に制限無し、まとめて希望工程の救助活動に
使う。
  2.1+1寄贈: 400人民元(5000〜6000円相当)を寄付するだけ
で、1人の学校へ上がれない子供に小学校を卒業する願望を実現させ
ることができる。
  3.「希望書庫」寄贈: 3000人民元を寄付することにより、辺鄙な
山地地帯の小学校のために500冊児童読物を持つ「希望書庫」が設立
できる。設立後の書庫は寄贈者の名前又はご指定名称で命名でき
る。
  4.「希望小学」寄贈: 20万人民元を寄付するだけで、希望小学校
を建てられ、その地域の教育条件を改善できる。学校は寄贈者の名前
又はご指定名称で命名できる。
  5.特別基金設立: 30万元以上の寄付で、希望工程基金の中に
特別基金が設けられる。毎年の基金利息を救助活動に使う。

  その他、貧困地区の学校へ教育環境を改善するための文教用品、
学校設備等の寄付もできる。

二.寄贈の手続き:

  希望工程北京捐助中心(寄贈センター)は北京市政府の許可で設
立された事業機関、希望工程及び救助業務を担当している。
    1.寄贈者がまず自分の意志に基づいて登録カードに記入してく
ださい。
    2.寄贈者は寄付金と登録カードを担当係員に渡してください。
    3.係員は金額とカードの確認をしてから、寄贈者に領収書を発
行する。
    4.寄付者に寄贈記念カードを発行する。
     (1)寄贈者全員に「捐贈記念カード」を発行しる。
     (2)寄贈金額1万人民元の方に「捐贈名誉証書」を発行する。
     (3)結対(1+1)寄付者に毎年の3月又は9月の新学期に救助
を受けた少年の名前、住所を明記した《結対救助カード》を送付する。

  希望工程北京捐助中心(寄贈センター)
  連絡先: 北京市東城区北新橋香餌胡同3号
  郵便番号: 100007
  TEL: +86-10-64076969  64077979   
  Email:mailto:hope@www.goyoyo.com.cn    

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2008年06月07日

中国四川省大地震救援ニュース 37

今回の地震で、「おから工事」と言われる手抜き工事で大きな問題となってい
ますが、重慶では耐震審査を義務づけたようです。建築基準法のようなものは
あると聞いたのですが、「えっ、義務づけてなかったんだ?」ということになりま
す。これでは、かけがえのない人を亡くされた遺族にとってはあきらめ切れない
ことになるでしょう。

RIMG0014-s.JPG

以下はCODE翻訳ボランティアによるものです。

≪重慶;今後、高層建築の耐震審査を義務化≫

 6月1日、重慶市は高層建築に対する耐震審査を実施し、第一次(初歩)設計
で審査を通らなかった建物の建築を禁止するとした。即日実施を開始。同時に
重慶市では設計関係の耐震に関する知識研修を実施し、設計会社、施工会社
とも新政策にわからないところがあれば、重慶市建設委員会設計処に聞くこと
ができる。ここでいう「高層」とは一般に10階と10階以上の建物、あるいは28
メートル以上ある建物。重慶市中心部で建てられる新しい建築の9割が「高層」
だ。「超高層」とは一般に100メートルを超える建築物をさす。世貿ビル、市科技
館、市大劇院がこれにあたり、耐震審査はさらに厳格なものとする。
 重慶市建設委員会の関係者によると、第一次の設計案が完成した段階で
「高層」以上にあたる建物は、市建設委員会に審査を申し込まなければならな
い。専門家チームによる審査に通らなかった場合、設計を改善できなかった場
合施工を禁止する。施工行程では監督、質量検査を確実なものとし、検査建築
の耐震性を確保する。 (6月3日 重慶晨報)

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2008年06月06日

中国四川省地震救援ニュース 36

いつも被災地の様子をレポートしてくれているYさんですが、調査ばかりではなく、瓦
礫片づけ等のボランティア活動も行っています。その様子が届きましたので、お知ら
せします。

P6050838.JPGP6050835.JPG

現在、日本人ボランティア約10人と韓国人、中国人、(ときに欧米人)でほぼ毎日被
災地で瓦礫の片付け、掘立テント小屋の建設、仮設住宅の建設手伝いを行ってい
ます。光明村ではすっかり人気者です。彼らがいることで子供達も集まって一緒に
作業するようになりました。皆暑い中、真黒になりながら明るく頑張っています。これ
からボランティアも増えてくるかもしれません。今は車1台チャーター(1日450元)し
ていますが、乗り切れなくなっているので、何か方法を考えなければなりません。以
上ジャパニーズボランティアの情報でした。

以下はCODE翻訳ボランティアによる情報です。

≪山東省;学校建築の立地条件を見直し≫

 山東省は「山東省普通中小学基本弁学条件標準(試行)」を定めた。これから建て
られる新しい中小学(日本の小中高)は次の6つの危険地帯を避けて建設することと
した。その6つとは、高層建物の蔭になるところ、地震断層の上、山地や丘陵地帯の
地滑りしやすいところ、崖のふちや崖の下、河や海の土石流の危険があるところ、
ダムの近隣の水があふれやすいところ。

 同時に、学校はできるだけ高速道路や幹線道路沿いを避け、交通騒音や高圧電
線、高圧ケーブルの影響を避けること、 船の航路を横切って通学するようなことが
ないこと、 病院や高圧変電所などの学生の生命健康に危険をもたらすかもしれな
い場所を避けること、を定めた。

 山東省はこれを示すことで、全省の学校建設の水準を改善し、標準化をすすめる。
また、省内各地の建設局と調整し、すでにある学校で危険な建築や改造が認めら
れるものは改築計画を定め、5年をかけてすべての学校が目標に達するようにする。
 (6月2日 新華網)

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2008年06月04日

中国四川省地震救援ニュース 35

中国四川大地震発生から、1ヶ月も経たない内に被災地の一部で仮設住
宅の建設がガンガンはじまり、一部では復興計画の作成にも入っているよ
うです。これって阪神・淡路大震災の時よりもかなり速いスピードでの対策
のようです。一方で農村地域や険しい山間地域の再建については、その
場での再建の道をとるか移転して再建するかの悩みもあるようです。いつ
ものYさんのレポートを紹介しますが、地震がなければ厳しい中でも農作業
に打ち込む人々の暮らしが目に浮かびます。

<Yさんのレポート>
中国人学生ボランティアと日本人ボランティアと北川県の被災地へ向かっ
た。永安鎮の中心部も倒壊した家屋が目立つ。またそこから西へ未舗装
の道をしばらく走ると道沿いに瓦礫の山が続く。新石村である。車の窓越し
に崩れた家屋で老夫婦がなにやら作業をしているのが目についた。その家
では崩れ落ちた屋根が、穀物を貯蔵していた部屋を埋めていた。袋が破
れ、散乱したトウモロコシが瓦礫に混じる。それを拾い集め、ふるいにかけ
て袋に詰めなおし、20kほどの穀物袋を運ぶという地道な作業だ。年をとっ
た夫婦には過酷な作業である。僕たちもさっそく作業開始。ほこりと荷の重
さは、若い学生にもこたえる。だが、どこか活き活きとした顔をしている。作
業を終えた僕らにおじいちゃんは、救援物資の水を飲めとしきり言う。最後
に「このことは永遠に忘れないよ。」と語った。

P5200139-s.jpg

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2008年06月03日

中国四川省大地震救援ニュース 34

いま、四川大地震の関連で被災地ではボランティア熱が高まっているようです
が、現地に詳しい人たちの話では、「でも熱しやすく、冷めやすい!」ともいい
ます。偶然2006年11月15日の朝日新聞「世界発2006」という記事を見つけま
した。「学生ボランティア熱 やりがい求め地方へ」という見出しで、「農業を助
け、教育を助け、新しい農村をつくろう」という国あげての農業政策に協力する
学生ボランティアのことのようです。「あなたの選択は一本の正しい道だ」と温
家宝首相が答えています。

Yさんの現地レポートをお届けします。

地震から1週間後に清平という山間部に向かった。やはり川沿いの道は、土砂
崩れのため寸断されていた。その手前の集落でお話を聞いた。この数日、上
流の土砂ダムが決壊するかもしれないとの報道があり、下流の集落は移転を
余儀なくされている。

 李万興さん(62歳 男性)も家屋が一瞬にしてガレキの山になった。現在は
ガレキのすみに止めてあるトラックの荷台に88歳の父親と奥さんと3人で暮ら
している。「これから来る雨季に備えてテントが一番必要だ。でも上流のダム
が決壊するかも知れないからここにはいられない。妹夫婦のところにでも行く
かなあ。」と語る。 「災民証(被災者証明)は受け取った?」と聞くと、「その話
は聞いたことはあるけど、義捐金の1日10元なんかもらってないよ。隣村はも
らったらしいけどね。。」また、「一日10元で一体何が買えるって言うんだ
い!?」と不安を隠しきれない。しかもこの義損金は3か月のみの支給であ
る。あとは自救(自助努力)するしかない。

P5220036-s.JPG

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2008年06月02日

中国四川省大地震救援ニュース 33

昨日の記事<5月22日南方周末 記者 徐楠>の続きです。

 ≪広場の老人≫

 成都の市街地にひとつの空き地がある。そこはボランティアが集中する臨時広
場になっていた。
 
 白髪の老人張文武さんは陝西省渭南からやってきた。彼は故郷の村から数十
里を歩いて渭南駅にやってきた。彼は若いボランティアの車に乗り込み、祟州一
帯で一日仕事をした。そこでは大きな被害はなく、主な仕事は家を訪問して被害
状況を把握することだった。
 45歳の馮秀さんは湖北省から列車でやってきたばかりだ。彼女は食堂で仕事
をしており、被災地で食事が作れると言った。
 
54歳の劉春来さんは四川省遂寧から来た。故郷の村は軽微な被害に留まった
が、道路が不通になってしまったので、バスターミナルまでの数十里を歩いた。彼
は軍服を着て背中にビニール製の袋を背負っていた。「うちの息子は今年高校受
験だか、でかけるときにたくさんの子が試験を受けることさえできないんだ、がん
ばってきてね、と言ってくれたよ。」
 広場の入り口では68歳の老人が作業の割り振りをしていた。

 ≪遺書を書いてください≫

 被災地で起こっていることを見て、安徽省からきた貿易商の于大永さんは驚い
た。 5月17日に彼らが紅白鎮に着いたとき、被災者はすでにほとんどが移動した
後だったが、救援物資が次々と送られてきていた。于大永さんは心配した。「もし
もこの地区に感染症が発生したらこの物資は全部だめになってしまう。絶対に
持って出られないな。」
 彼らはまた、じん(くさかんむりに金)華鎮の被災者がテントに住んでいる少数を
除いては、たくさんの人が廃墟のなかで暮らしているのを見た。子供もいた。彼ら
には三本のろうそくと三本のきゅうりがあるだけだった。彼らはこれを宝のように
持っていた。

 上海から来た袁琳さんは涙を禁じえなかった。救助にきた軍人が疲労の末廃墟
に身を横たえて熟睡していた。気温は高くはえがたかっていた。
 于大永さんは軍人の人たちの健康を心配した。こんなに高温で何日も服を洗うこ
とができない。戦士たちの体にはすでに赤い斑点ができていた。
 成都に戻ったら、なんとか車を手に入れて薬を送ろう。

 「頂点」では、常に携帯の音が鳴り振動していた。ボランティアがそれぞれ情報
を携帯で発信しているのだった。 捜索段階が終わりに近づいても、ボランティア
は絶えずやってきて、山に入り奇跡を起こしたいと思っていた。
 5月19日正午、「頂点クラブ」を組織した高さんはやってきたばかりの若い男性に
向かって例の如くこういった。
 「余震の可能性があります。土石流や山崩れ、感染症も…」
 「私は怖くはありません」
 「本当に準備はOKですか?」
 「はい!」
 「それでは遺書を書いてください」
 男性はだまってしまった。
多くの人はこのような残酷な要求をつきつけられてはじめて、ボランティアが危険
な行動だということをようやく意識するのだった。

(文中のボランティアは仮名です)

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2008年06月01日

中国四川省大地震救援ニュース 31

中国四川大地震以後、実は中国の通信社「新華社」や「新民晩報」やそ
の他小さなマスコミに取材された。マスコミの目的は、阪神・淡路大震災以
後のボランティアがどのように対応したか、また災害後の深刻な課題となる
「こころのケアー」についてどうのようなことに気をつけなければならないか、
ということであった。先日その取材された一つ「新民晩報」(日本版)に私の
コメントが紹介されたらしく、その掲載記事が送られてきた。 主張で東京に
行っていたときに時間を作ったのだが、少しでも阪神・淡路大震災の経験
が役に立てればという思いでその日のスケジュールを変更して丁寧に話さ
せて貰った。

 その取材の中での「こころのケアー」について、「専門の精神科医の方々
に頼らなければならないケースもあろうが、一方大半はボランティアがただ
黙って被災者に寄り添うことで解決する被災者も多いでしょう」とアドバイス
をしたのです。丁度、今朝の毎日新聞2面の「時代の嵐」というコーナーに
精神科医の斉藤 環医師が−四川大地震後の中国−というテーマで書い
ておられますが、その中の引用に私と同じようなことが書かれていたので
「意を得たり」と少し安心した次第です。その引用というのは、阪神・淡路大
震災の被災者でもあり、ひょうご被災者支援センター理事長でもある精神
科医・中井久夫先生が、こころのケアーで大事な視点としていくつかあるな
かに「ボランティアはそこにいるだけで価値がある」と加えておられることな
のです。

 さて、阪神・淡路大震災後「こころのケアー」という言葉が溢れ返り、「ほ
んとにこれでいいのか?」と懸念を抱いたことを思い出すが、他方この引用
をみて国内で昨年3月に発生した能登半島地震後の5日目の避難所に、大
学生を中心に結成された「中越・kOBE足湯隊」というボランティアが支援に
言ったときのことを思い出す。5日目の避難所なのでまだ余震は続き、また
グチャグチャになった家には戻れず、もちろん風呂にも入れないという避難
生活をしているときに、多くの被災者にとっては孫と同じような大学生が足
湯をしにボランティアに来てくれ、足をお湯に浸し、手をさすりながら寄り
添った活動に、被災者のほとんどが喜んで下さったという事実は、今後のこ
ころのケアーの活動にも大きなヒントを与えたと思われる。

もう一つこころのケアーで大事なのは、この中国四川省大地震救援ニュー
スでYさんのレポートを紹介させていただいていますが、Yさんのレポートを
よく読んでいると、随所に被災者自身の”自助”の姿が行間に滲み出てい
ることに気づきます。まだまだ取り残された山間僻地の小さな村に残ってい
る高齢者と幼子の様子が垣間見えます。この”自助の姿”に被災者同士が
勇気づけられ、「被災者は自分一人ではない!」という孤立感からの脱出を
果たせば、またこころのケアーを有効なものにするのではないかと思いま
す。

また同じ被災地に住む一人のボランティアのこんな悲劇もある。少し長く
なりますが以下に紹介します。
(以下の翻訳はCODE翻訳ボランティアによるものです。)

「57歳のボランティア胡開華さん 被災者避難所で過労死」

 「今九洲体育館にいる。ここは被災者が多くてすごく忙しいんだ。はっきり
聞こえないから、切るよ。」これは57歳の胡開華さんが家族に残した最後の
言葉だ。
 5月14日の夜9時過ぎ被災者の避難所となっている綿陽九洲体育館の戸
口で、8時間以上忙しく働いた胡開華さんは突然倒れ、二度と起き上がらな
かった。5月16日午前9時、胡開華さんは亡くなった。知らせが伝わり、彼を
よく知っている人たちは皆残念そうにため息をついた。「よい人だったのに
…。」しかし、人々は彼の被災者に対する思いに改めて敬服した。

●「家族とのつながり」
 25日午前、記者は綿陽市にある胡さんの家についた。胡開華さんの遺影
は部屋の中央に置かれ、周囲をたくさんの花で囲まれていた。遺影の胡開
花さんの表情は慈悲深く、この世をじっとみつめていた。5月12日午後2時
28分の事だった。胡開華さんが玄関付近を散歩していたとき、突然大きな
揺れが起こった。幸い、家族は無事で部屋も特に問題はなかった。そのあ
とすぐに青義中学へ向かった。彼の孫がその学校の一年生だったからだ。
孫を連れて帰り、改めて家族が皆無事である事を確認し彼は心から安心し
たのだった。その日の午後、胡開華さんは小さなテントをたて家族を避難さ
せた。

 「母はずっと体調がわるく、精神病を患っていてずっと薬を飲んでいた。長
年にわたって父が母の面倒をみていた。」胡開華さんの長男、胡文軍さん
はチベットで仕事をしており、普段なかなか帰ってこられない。「この家は父
の働きや気遣いがあってこそ。父がこんなに突然なくなるなんて思いもしな
かった。」「地震があってからずっと電話をかけていたが、なかなかつながら
なかった。」胡文軍は2日目になって家族と連絡がとれ、皆無事であること
を知りほっとした。が、その後、思いがけずこのような事態になってしまっ
た。

●「自ら北川被災地へ」
 14日正午 胡開華さんは地元の灯塔社区が20名のボランティアを募り北
川地震の被災地の救済に行くことを知り、自ら「私も応募したいんだ。」と申
し込みに行った。社区の主任は一目見て「年齢が高すぎるから無理だ」と
断念することを勧めたが、彼はひかなかった。近所の住民は皆 彼が頑固
で意思がとても固いことを知っていたので主任は胡開華さんが平常は元気
で体調がよいことを考慮して同意した。
「こんなことになると知っていたら行かせなかったのに…」25日の午後、主
任は記者に言った。「もともと20人のボランティアだったが、年齢が高い胡
開華さんを見て自分たちもできると志願者がさらに増えたんだ。結局38人
が行ったんだよ。」胡開華さんの次男胡文明さんは父の電話でボランティア
をしていることを知った。「電話で父は「北川被災地に行く」と。いつ帰ってこ
られるかは言わなかった。」胡文明さんが駆けつけたとき、胡開華さんはす
でに迷彩服に着替え、車が発車するのを待っていた。胡文明さんが父から
最後の電話をうけとったのは「九洲体育館に行く」ということだった。地震の
影響により通信が不良で胡文明さんは以後二度と連絡をとることは出来な
かった。

●「大きなテントを建てれば皆が入れる」
 胡さんの家の東側には百平方米の大きな仮設テントがある。これは5月
13日、胡開華さんが息子の胡文明さんと立てたものだ。昨日の午後、記者
が訪れたところ、テントの中には20人がベットでになっていた。「私たちと胡
開華さんは近所同士、あの日、彼はこんなにいいテントを建てて私たちを住
まわせてくれたんです。」テントの中で休んでいる一人は話してくれた。
「地震は治まったが、余震が続いている。新しく避難所を建てなければ」と5
月13日、胡開華さんは息子と空いている土地を整理し始めた。はじめ、胡
文明さんは家族のためのテントだし、そんなに大きなものは必要ないと思っ
た。しかし、胡開華さんは「絶対に大きなものが必要だ。そうでなければ多
くの人がはいれないじゃないか」と目を見開きながらこう言ったのだった。
「近所同士じゃないか」
 当日の午後、仮設テントには20個のベットが入り、皆が住むことができた
のだった。灯塔社区の王という住民は言った。「私と彼は幼馴染だが、いい
人だった。彼はずっと体も元気だったし、こんなことになるなんて…」

●「父がしたことは良識あるひとなら当たり前のこと」
 14日午後1時過ぎ、胡開華さんは九洲体育館についた。被災者が多いた
め、彼は秩序維持の協力の仕事を求められた。午後、彼は長男胡文軍さん
との電話で二言しゃべったあと、あわただしく電話を切った。電話のあと、胡
文軍さんは心配になり、すぐ同級生の王平さんに電話をした。「王平もボラ
ンティアで父と一緒にいたので彼に父のことを頼んだんです。」胡文軍さん
はこれが父と最後の電話になるとは思わなかっただろう。
 14日夜8時過ぎ、胡開華さんはすでに九洲体育館で7時間近く忙しく働い
ていた。夕食もとっていなかった。ある人が胡開華さんにお弁当を配った
が、おりしもそのとき一人の被災した老婦人がやってきたので彼は彼女に
お弁当を手渡したのだった。
 夜9時すぎ、胡開華さんは戸口で忙しく働いていて突然、倒れた。すぐに
綿陽市中病院に緊急で運ばれ、2度手術を受けたが、胡開華さんは二度と
目を覚まさなかった。
 16日午前9時、胡開華さんは亡くなった。医者の話では突発性の脳溢血
とのことだった。胡文軍さんは言った。「本当のところ、私は父は特に偉大
なことをしたとはおもっていません。良識のある人間なら誰でもそのようにし
ただろうと思います。人として当然のことをしたのです。」
                    (新華網 成都 5月26日 17時19分)

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2008年05月31日

中国四川省大地震救援ニュース 30

Yさん30日のレポートです。

 この四川大地震で土砂崩れのため孤立した集落は多い。綿竹市の高川もその一つである。
高川に入る山道に入ろうとした時、突然ラッパの音が響き渡った。ちゅうどこの時間が、地震か
らちょうど1週間後の14時28分だったのだ。土砂崩れのため途中の山道 は寸断されている。
なんとか先に進めないかと思ったが、身の前に立ちはだかる多量の土砂の前には無力であっ
た。が、しかし山の上から下りてくる人々に出会った。声をかけてみると、地震後、一度山を下り
て避難所で生活していたそうだが、貴重品や村に残った高齢者のために再び村に帰って来たと
ころだという。彼らは土砂を迂回するように川の下まで降りて再び、あがってくる。まさに命がけ
である。村に残った高齢者の中には腰が悪くて自力では降りてくることができないという。また
家畜がいるからという人もいる。そうせざるを得ない理由がそこにはあった。そして、その上空に
は物資を運ぶヘリがこの日も飛んでいた。

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中国四川省大地震救援ニュース 29

成都に拠点を置きながら、毎日被災現地に出かけているYさんの走行距離は
300km以上になります。Yさんの27日のレポートです。

綿竹市から北川県に数多くある集落のひとつ、#(テヘンに共)星鎮泉楽村は
約500人のだ。綿竹市の中でも被災状況のひどい漢旺鎮から車を走らせ、泉
楽村を通りかかった時、突然、中年の男性が娘らしき少女を抱えて道を横切っ
た。その姿に近所のテントの人達も慌てふためき、集まってきた。その人だかり
に寄ってみると、少女は足に軽い擦り傷が見えた。回りはおどおどして何もしよ
うとしないので、僕がその場で水と白酒(アルコール45度以上)を使って軽く消
毒してあげたが、お母さんは、それでも傷口をけずるようにこすり続けていた。そ
れほど大した怪我でもないのに、あんなに大騒ぎするほど被災者の中で感染症
に対してかなり敏感になっているんだ、と感じた。この数日、日中は確かに蒸し
暑くなってきている。被災者の方にトイレの事を聞くと、「そのあたりで適当に」、
「穴掘って埋めてる」と帰ってくる。被災地はこれから雨季に入る。衛生問題が
気にかかる。

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2008年05月30日

中国四川省大地震救援ニュース 28

みなさん、今年の2月22日〜25日まで東京で「世界P・E・Nフォーラム 災
害と文化」という催しが開催されたのをご存じでしょうか。このフォーラムに天
災も人災も体験された中国の作家莫言(モーイェン)さんが来日され、次の
ようなメッセージを残されました。
「自然災害は人間の美しい知恵で減らせる。よこしまな知恵があみだす戦
争に反対するのは芸術家の神聖なつとめだ。国家より全人類の利益が勝る
という思いで、芸術家は自らの責任を認識し、力をつくすべきだ。」と。また、
「困難なときほど、心の美醜が出る」とも。

 この四川大地震で被災を受けた中国の詩人 リャオ イ ウさんが、「天災
であれ、人災であれ、いかなる災害でも、それを記憶することが文学者の本
能である。」とおっしゃっています。続けて「外国からの緊急援助隊はとても
うれしかった。政府は一種の慣性の法則が働いていて、最初は真相を小さく
伝えようとしたため、緊急援助の時機を逸してしまった。だが、対応はこれま
でより迅速になったと言える。誤解を恐れずに言えば、これは確かに大災害
だが、一つのチャンスにすることもできる。」と。

 先述の世界PENフォーラムで基調講演に立った作家の大江健三郎さんは
「人間には恢復力がある!」と自身の体験からおっしゃっています。こういう
時の芸術家には、共通したものが各々の内面から湧き出てくるのでしょう
か。そういえば、阪神・淡路大震災の時にもいくつかのすばらしい詩人や歌
人がいたことを思い出します。

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